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カテゴリー: ちょっと旅

残雪が残る涸沢カールと槍穂高連峰

ちょっと旅

天気が安定する梅雨明けの時期に穂高連峰への登山を計画し実行した。

上高地バスターミナルから前穂高岳を目指し岳沢登山道、重太郎新道を登る。

晴天の山頂へ辿り着くと360度のパノラマが広がっていた。

山頂の南側は上高地を見下ろし、北側は涸沢カールや槍穂高連峰の絶景を眺める事ができる。

残雪が残る涸沢カールと槍穂高連峰へカメラを向けシャッターを切った。

村上 雅彦(00M)zannsetu.jpg

香川県五色台山麓の石探しの旅

ちょっと旅

8月23日(土)四国支部同窓会総会の行きがけに、3年前に訪れたサヌカイト産地を再訪した。前回は四国支部の藤岡さんに案内していただいた。また、ご迷惑をおかけしてはならないので地形の記憶を頼りに、googleの航空写真で現地を確認し、また、静岡支部長の花本さんと連絡を取り、ご家族と一緒に再訪した。

五色台山麓の広場に駐車し徒歩数分で、白い岩壁に達する。ここは、前回、案内板にガーネットが取れるとあったが、いくら探しても発見できなくて悔しい思いをした場所である。岩壁から風化ではがれた土砂に含まれるものと想定してきたので、早速砂をすくって観察してみた。たしかに微細な赤い色の粒が見える。この砂を持ち帰り、ガーネットを選別した(写真参照)。最大でも0.5mmあるかないかの微結晶であり、ちょっとガッカリである。

白い崖

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白い崖のガーネット(最大0.5mm)

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讃岐石(サヌカイト)
白い崖から少し登ると、讃岐石が観察できる沢に到達する。今回は溜池になっていて、観察できる場所は限られていた。数点拾うことができた。この石は、鉄が手に入りにくい古代においては、石器の材料として貴重な物で、この地方の石が日本各地の石器の中に認められるそうで、当時の有名産物で交易の対象であったと思われる。

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石拾いはこれにて終了し、高松へ急ぐ。花本さんには、お子さんの夏休みの宿題や工作に最適と誘って同行頂きましたが、お子さんにはちょっと難しかったかな?(66E 名倉満雄)


(参考)白い崖(ギョウカイカクレキ岩)」案内板の説明書き

この白い崖を作っている岩石はギョウカイカクレキ岩とよばれる昔の火山活動の産物です。今から約1,000万年前、瀬戸内地域は、激しい火山活動にみまわれました。その時の溶岩のかけらと火山灰が積もってできた岩石です。これは五色台の下の方ならどこでもみられます。
ここでは、ちょうど何枚かの層(地層)になっていて、水平に積ったはずのものが大きく南に傾いています。また、この層に入ってきたカクレキ岩状の溶岩脈(貫入砕屑岩脈)もみえます、これらは、いずれも、当時の火山活動の激しさを物語る大切な証拠です。
めずらしいことにこのギョウカイカクレキ岩の中には、小さいけれども、すきとおるように美しい宝石、ガーネットが含まれています。(昭和59年3月 香川県)

翡翠拾いリベンジの旅

ちょっと旅

66E 名倉 満雄

<旅程>
往路:名古屋 =>松本=>南小谷=>姫川・・>糸魚川―>青海―>市振―>宮崎
帰路:宮崎―>姫川―>糸魚川=>金沢=>米原=>名古屋
     (注)=列車利用、・・徒歩、―レンタカー利用

 これは、2年前(2007年5月中旬)の2泊3日にボーズに終わった翡翠拾い旅行のリベンジである。前回と同様の旅程を想定して出発した。

<5月4日>新潟県姫川川原
 青山先生とJR名古屋駅から、8時発しなの3号に乗車、多治見で中井先生と合流、楽しい旅の始まりである。大糸線に入るとカメラの砲列が要所要所いたるところから、やたらこっちに向かっている。レトロ列車ののんびり旅である。
 前回は頚城根知と頚城大野で下車し、姫川川原で探石を行った。無収穫であったが民家の庭先にトン級の翡翠の大塊をよく見かけたのが印象に残っているので、今回は隣駅の姫川駅から川原に降りることとする。
対岸には既に4、5名の翡翠拾いと思われる人影が散見できる。最近の好天続きで川原の石の入れ替わりがないであろうから、表面の翡翠は拾い尽くされて、もうなくなってることが心配である。辛抱強く探索するしか方法はない。
 川原は大小様々な円礫で埋め尽くされている。構成は石灰岩、安山岩、蛇紋岩、珪岩、曹長岩、砂岩などであろうか。ところで天然の翡翠の外観は、よく研磨されたものが美しい緑色~青色であるのと異なり、まったく風采の上がらない白~灰色を基調とした塊であると言われている。また四角張っている、明るい白色系で模様入り、すべすべした手触り、重いなどだが、外観上一般の礫との識別は容易ではないし、存在自体が極めて希少である。
 そこで、できるだけ多くの石が目で確認できるように、川原をジグザクにスキャンしながら移動することにした。
 すると、わずかに緑っぽい灰色のシミのはいった白っぽい子供の頭くらいの石が目に止まった。比較のために持参したミャンマー産の翡翠と比べると、白い部分の質感がよく似ているし、確かに重い。確信度は5割以上のものを感じた。しかし、これを背負って更に探石を続けるのは辛いし、翡翠でなかった場合を考えると、持ち帰ることに躊躇することしきりであった。

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  翡翠かな?
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 忍石(ピクチャーストーン) きつね石

 4時半まで川原に滞在し疲労困ぱい。気力で糸魚川市の民宿まで歩行。この民宿は前回もお世話になっている。仕事で長期滞在するお客さんが多いようで、ゴールデンウィーク期間であったので、逆に利用者が帰り予約が可能になったという事情がある。
 宿のご主人に拾った石を見ていただいた。一目で翡翠系の石であると断言し褒めてくださった。宿の戸棚に飾られている磨かれた翡翠と比べると、外観はとても翡翠と思えないが、これを聞いてずいぶん自信が沸いてきた。しかし、「系」という言葉が気かかる。

<5月5日>姫川河口-青海海岸-青海川-市振海岸
 宿のご主人の情報で、今日は姫川河口から探石を始めようと思う。

姫川河口(新潟県糸魚川市須沢地区)
 レンタカーで着いてみると、やはり、先客10人ほどが石拾いか釣りをしている。昨日と同様ジグザグ歩行を始める。すると真っ白い石が見つかった。割ってみると白色繊維状の結晶鉱物が放射状に集合した塊であった。ペクトライトかゾノトラ石であろう。
      

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須沢海岸 ペクトライト(ゾノトラ石?) 
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電気石放射状結晶  

青海海岸(新潟県糸魚川市)
 同様あまり成果はなかった。

青海川川原(新潟県糸魚川市)
 電気化学工業(株)の少し上流で川原(沢)に降りる。川の真ん中に5、6メートルの巨岩が二つ鎮座している。両岸の切り立った崖から転がり落ちたのであろう。くわばらくわばら。
 この川の上流の橋立という地域は、数トンの翡翠が多数存在することで天然記念物に指定されている。ここの翡翠が海まで流され、海岸に打ち上げられ拾われているというわけで、私見であるが、この川原は翡翠の密度が高い有望な産地であろうと考えられる。これは姫川についても言えることであろう。
 ここは白っぽい翡翠様の岩石が確かに結構多く見られる。しかし、これならと感じられるものは見つけられなかった。たぶん、多くは曹長岩であろう。

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川原の様子

    
   

市振海岸(新潟県糸魚川市)
 ここは前回訪れたときは、強風で波が荒く巨大な円礫で埋め尽くされた海岸であった。他の海岸では波風は弱かったが、ここだけは今回も同様、特別である。重い翡翠が打ち上げられやすいのではないかと考え、再訪してみた。探石のうちに雨が降り出したので、切り上げ、今日の民宿に向かう。
    

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市振海岸の様子

   <5月6日>宮崎海岸-姫川
宮崎海岸(富山県下新川郡朝日町)
 民宿のご主人は、翡翠をこよなく愛する人で、かつて家業を省みず毎日のように翡翠拾いに没頭したそうである。庭や玄関辺りに大小様々な翡翠が置かれている。お願いして見せていただいたが、磨いたものは、しっとりとして和風の上品な美を感ずる。早速、姫川の採集品を見ていただいた。形といい重さといい間違いなく翡翠であると太鼓判をいただいた。ただし、少々軟らかい質のものであるらしい。
 ここでも1時間ほど探石したが無収穫。

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翡翠(磨き) 翡翠(磨き)
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キツネ石    軟玉(ネフライト) 

姫川川原
 最後に、柳の下のドジョウを狙って再び姫川を目指す。今度は初日の対岸を探すことにした。翡翠っぽい白色系の大岩が目に付く。しかし、どうもキメが荒いし、色も深みがなく、いまいち引き付けるものを感じない。1時ごろ探石を終了し、糸魚川駅に向かって帰途に着く。
    

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軟玉(ネフライト) 

糸魚川駅
 改札前に大きな翡翠の勾玉が安置されている。濃緑色の生地に豆腐のような長方形の翡翠の白い結晶が見え、結晶好きのものにとっては興味深い。また、駅に隣接する土産物店のロビーには8トンの翡翠原石が展示されている。小滝川産で自然の風化面が現れているので大変参考になる。外観は灰白色で石灰岩のようにざらざらして見えるが、触るとすべすべしている。一部は研磨してあり、確かに翡翠らしい色と光沢が見られ美しいものである。これでは素人が野外で翡翠を判別するのは至難の業であろう。「玉磨かざれば光なし」の諺は翡翠のことから来ているのだろうか?
 糸魚川を13時ごろ出発し、金沢、米原経由で19時ごろ名古屋に帰着。同行の皆様ご苦労様でした。また、ありがとうございました。

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土産物店の翡翠   研磨面
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研磨面 改札前の翡翠 

 
(検証)帰宅し、採集品の比重を計ってみた。重量6.3kg、水中重量4.3kgで、比重は3.15と計算された。理想的には3.2~3.4なので良く一致する。民宿のご主人が指摘されたことも頷けるものである。慧眼に敬服する。

 

犬島アートプロジェクト【精錬所】の紹介

ちょっと旅

高松からは北に位置し、岡山市側の瀬戸内海に浮かぶ犬島にある「犬島アートプロジェクト【精錬所】」へ行く機会がありましたので、そのときのスナップを紹介します。

ここは周囲4kmほどの小さな小島、犬島にある近代化産業の遺産ともいえる銅の精錬所跡地です。1909年に建設された犬島精錬所は約10年で操業を終え、100年近く経った今でも良好な形で残されています。当時そのままの煙突やカラミ煉瓦の壁を見て回ると、日本の発展に尽くしてきた先人への感謝の気持ちと、歴史の重みを感じさせられます。

直島で行われている、瀬戸内の島々と建築とアートのプロジェクトで再生・整備された施設のひとつです。ここに訪れると新しい発見と、瀬戸内海のときの流れを一緒に感じることが出来ると思います。

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(9)続き 屈斜路湖 丸山荘

ちょっと旅

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今日は私が一年半前から、連絡を取らせていただき、やっと宿泊出来ることになった丸山荘に伺う日ですが、下界は曇り、峠は悪天侯の模様。丸山荘は屈斜路湖の東南、コタンの温泉より南1キロのところ。釧路川のほとり、丸山の裾に立つ瀟洒な宿で、ご夫婦二人でやっておられる。これが私の知る丸山荘のすべてで、当初マスターは道庁のOBかと思ったほどだ。訳は、18ヶ月前に予約のハガキを出したところ、道北の資料を山ほど送っていただいた。それで観光課に勤めていた人かと思ってしまったのだ。

丸山荘は天然温泉、部屋数は4室だが、1日1組だけの客しか泊めない。困った。今回の我々の旅は、2組5名だ。あたって砕けるしかない。電話をかけたが不在。後になって聞いたところによると、ご夫婦でよく旅行に出られ留守されるそうです。加えて、こちらが大人数なのも、大問題だったそうです。

ある日の私の電話が、旅さきの携帯につながり、ご主人の了解を得ました。どうしてもこの宿を利用したかったので、嬉しくて少し興奮してしまった。幸運でした。

サロマ湖の、秋には紅葉して美しいであろうアッケシ草の群生地を下見し、能取湖、能取岬、網走、刑務所を見学。小雨に降られ、私の腰痛も最悪の状態で監獄見学をおえた。

女満別の東に丘の連なった朝日(メルヘンの丘)というところがある。丘と丘を結ぶまっすぐな農道と畑の幻想的な風景が絵にも写真にもなる。ぬれた道と露を含んだ黒い土がファインダーの中に怪しく現れる。薄い雲を通した光が遠景の霧をくゆらせ、足元の黒い舗装道がその光をこまかくプツプツと乱反射させ、それが風景を演出してくれる。あと数時間もすれば、陽がでてきそうな、雲が切れてあたりが明るくなりそうな、そんな今が我々とめぐり合った。(今日は本当についている。)

県道102号線に入り、藻琴山(もことやま)のシバザクラ公園に着くころには、薄日がさしてきた。途中、ダチョウ牧場の看板をみたので、シバザクラ公園でダチョウラーメンを食べたが、これがくさくて大失敗。普通のラーメンを薦めます。

以前、美幌峠を下ったので、今回は藻琴山・展望台からの屈斜路湖をとおもい、峠を目指したが登るにつれて霧・・・嵐となり横殴りの雨が車を揺らした。

どうしても、ソフトクリームが食べたいとの、母のリクエストで、展望台の売店で買って食べたが、短時間でそこを発ち、屈斜路湖目指し峠を下った。

川湯につく頃には、雨もやみ、霧も消えたが、硫黄山は雲の中で何も見えない。湖畔道路を南下し和琴・屈斜路プリンスホテルにより、津別峠の上り口に立つ白樺林の美しいペンションの下見に寄った。丸山荘の予約に失敗したら、ここをと考えていた宿です。

丸山荘は、国道243号沿いに立て看板があり迷うことはない。こんもりした土手を直角に登ると、釧路川へゆるいカーブを描き広い芝原がつづく。建物は、あかるい青で山の裾野に近く二階建て。オープンベランダが建物にスカートをはかせたみたいで、ティータイムに椅子を持ち出し、おいしい空気と木の香と陽光を満喫できそうだ。うれしい気持ちで、ご夫婦とあいさつを交わしたが、モダンな感じのお二人でとても暖かい感じだ。

夕食前の2時間に丸山荘のことを詳しく聞けたし、道内のこともいろいろアドバイスをうけた。面白くて、興味深い話ばかりだが、そのことはこの折々に挿入したい。

いま、私は丸山荘の夕食のことを、書こうとして筆が止まってしまった。別の想いが湧き上がってきたのだ。父と母が喜んでくれたこの丸山荘。ここにお世話になれた嬉しさと、感謝。ただただ言葉が詰まって“ありがとう。”この言葉しか出てこない。

最初の皿には、7~800グラムの大型毛蟹。父が好物。勿論、皆も好きでカニと格闘。料理は奥様の創作料理で、驚きの連続。私にはこれ以上の表現ができない。

鹿を見たければ、津別峠。知床へ行くならカムイワッカ湯の滝。標茶の多和平を紹介され、新たに計画に入れることにした。

第6日目 6月11日(月) 霧 曇り

霧の早朝、広い芝庭を散策し、発ちがたい気持ちを鎮め朝食の席に着いた。今日も明日も宿泊予定者がないので、連泊し、ここから道東観光をと進めてくれた。多少のお世辞を含んでいたとしても、旅する去りがたい我々にはジーンと来るものがあった。再び遭える日がいつ来るのか知れぬのだから。

津別峠を目指し、新しく舗装された狭い道を登っていった。皆、目を凝らしエゾ鹿の姿を捜した。林の中の折れた黒い倒木が、ヒグマを想像させブレーキを踏む。高い落葉樹の途切れた笹薮に熊ではなく、鹿をみつけた。峠の城壁のような展望台に登り、あたり一面の原生林の息吹を感じ山を下った。

(8)観光地が少しすいている時期をねらい

ちょっと旅

人生。これはわれわれに、真に平等に与えられた有限な時間です。この私たちの地球上、生かされている我々に、唯一、平等に、神より(もし神がいるならば)与えられているものです。わたしのことで言えば、人間として、自我を自覚したのは、16歳の夏で、以来、39年目になりますが、残された時間を考えると、この日本に、意識もせず往かず残された場所(地域)の多さを知り、もう、それだけで、多くの悔いを残してしまう自分が見え、得体の知れぬ怪物に押しつぶされてしまうようです。特定の宗教に染まっていないと思っている私ですが、新年を向かえ、死生一途去来空のことを考えてみて、あえて宗教に固執すれば、自分の内に自分の宗教、自分教とでも申しましょうか、そんな思いを抱きながら、自分のことと、旅の事を「空に浮かぶ雲の如し」と、虚勢を前面に押し出し生きていけたらと思う今日この頃です。

 さて、平成5年に計画を立案し、平成13年に実行した旅のおはなし。
平成12年に細かい計画を立てるために、新しい道路地図を手に入れ、訪ねたい場所を地図上に記し、それを線で結ぶ作業からはじめた。ここからが、私にとっては旅で、あれこれ思い迷いながらの、立案が楽しい。旅先は、北海道。わが父が若いころ過ごした所。

北海道には212市町村があり、その数34市、154町、24村で今回の旅では、どれだけ訪れることができるだろうか、知っているはずの北海道の事をあらためて調べてみて、奥の深さを知る。(212市町村は地図でかぞえる。)

まず、6つの国立公園、5つの国定公園、12の道立自然公園で、すべての面積約86万ヘクタ-ル。北海道全体の約10パ-セントを占める。これはすごい。

つぎに、タンチョウ、マリモ、アポイ岳高山植物、昭和新山、野幌原始林、大雪山が特別天然記念物。クマゲラ、エゾシマフクロウ、釧路湿原、北海道犬、ほか3地区が天然記念物に指定。

人口はおよそ568万人だが、人口密度は68人/km2。道外からの観光客は年間4,514万人。人口の約8倍の観光客が訪れる大観光地です。

第一日目  6月6日(水) 天気 晴れ
家を朝5時30分発。旅の初日の緊張感がたまらなく好きである。前日は準備のため、遅くまで眠れず、体調は万全ではないのに、いま爽快にハンドルを握っている。旅の初日の行程は、早出し、めいっぱい距離を稼ぐ作戦をいつも取る。

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高速道路のクル-ジングを楽しみながら、一時間走り、トイレ休憩をおえると、少しずつ旅のリズムをおもいだす。やがて松本IC(インタ-)を過ぎると、空腹感を覚え、そば処上條のそばが食べたくなるが、今回は妙高サ-ビスエリアでの昼食を予定している。
(そば処上條 ℡0263-82-4411穂高町字穂高5256-1碌山美術館の近く。写真ギャラリ-あり。アップルパイこれがうまい。ポストカ-ドや小物もあり。)

野尻湖をすぎると、左手に残雪が眩しい妙高山が眼に飛び込む。わあーっと声にだし、気分高揚させ、自分の眠気を払い、同乗者の眠りをさまたげる。この時期の残雪風景が、初めてなので、ちょっと得した気分だ。昼食後、いちばん辛い時間がはじまる。訳は眠気と単調な風景。

新潟の南、弥彦神社に参拝し、岩室から日本海を左に見て海岸線を時速50キロメ-タ-で、新潟市内をめざし走った。長時間の長距離移動(555km走行)で疲れたが、明日はフェリ-なので事前にフェリ-乗り場を下見して、新潟駅前を散策し、夕食に郷土料理の店で足をのばした。

第二日目 6月7日(木) 天気 晴れ 走行距離 4km

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朝、信濃川の万代橋そばのホテルの朝食バイキングがことのほか美味しく、フェリ-の食堂の料理に余計な期待を持ってしまったが、実際は期待はずれだった。
(新日本海フェリ-車5mまで 新潟-小樽 17,950円 旅客二等 5,250円)
7日、8日の日本海はべたなぎでまったく揺れず、太平洋フェリ-に比べてしまい、すこし気抜けしたが、揺れなくて良く眠れた。

第三日目 6月8日(金) 天気 晴れ 走行距離 41km

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新潟からのフェリ-は18時間で小樽港へ着岸した。私は今、心地よい興奮と早朝なのに覚醒した脳が、確かに新潟とは違う午前4時35分の空気を感じた。それはすこし冷たく、澄んでいて頬をさす。
期待とわくわくした気持ちのまま国道5号、231号線を31年前(むかし訪れた)は小型の船でしかいけなかった雄冬岬をめざし北上した。 雄冬岬の見るべきところは、滝と名水「冷清水」とトド島ですが、我々は小休止しただけで留萌へむかった。
この年の、正月のある番組のなかではたいへん面白い話しがあった。留萌かその近くの出身の歌手が、クイズに答えて日本三景は、松島・宮島・黄金岬と自身ありげに、断言した。この時から、留萌を訪れたら黄金岬の空気を吸いにいこうと心に決めた。(日本三景の三つ目は天の橋立。)

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黄金岬には、まだ誰もいない朝8時についた。遠く南に暑寒別岳が広く裾野を日本海に広げ、峰に多くの残雪が陽光をよく跳ね返していた。西に開けた海岸線に立ち、私は心地よい潮風に吹かれ、日本海に沈む赤橙色の大きな夕日を想像してみた。
留萌駅に戻り、店(食事)を探したがまだ早朝。名物駅そばのにしんそばが、道内最初の朝食となった。留萌駅の印象は、構内に張られた真っ黒なSLのポスタ-が眼を引き、駅そのものは瀟洒で静かだ。

つづく

(7)那須のペンション

ちょっと旅

「私は旅と鉄がすきである。」この文章は私が最初に書いた言葉だ。旅にはいろんな楽しみ方や、喜びや、反対にアクシデントも付きものだ。楽しみの中で私はある時期から宿にこだわりを持って旅を考え実行してきた。

普、学生のころは「とにかく安く。」これだけで何のこだわりもなかった。だが近頃は、いかに気分のよい宿に廻り含えるか、ひたすらに捜している。「気分のよい。」とはあくまで個々人の感性であって、ほかの人にはそう感しなくても私が良いと感じられれば良いという程度の事でしかない。形式的なことでいえぱ、まずバリアブリーの宿を探して泊まることだ。老人と一緒に旅に出て困ることは階段であり、かっこよさに重きを置く宿は膝の悪い人にとって、怖い宿に変わってしまう。大型のホテルは設備の上では含格だが、家庭的なところを選んで探すと、小規槙な宿、民宿、ペンションになる。

ペンションについて話をすれば、7年前の6月の暑い日に岡山県の牛窓にある宿(ペンション)に泊まった。季飾外れで、空いていて快適であったし、丘の上で見晴らしもよくて300度オーシャンビュー、芝生の庭、テラス、植木も・・・・立地は良かった。その中で気になったのが、2階への狭い階段と部屋数が多くて廊下が長く、狭く暗かったことだ。加えて料理の皿数の少なさも。「価格に見合っている。」いってしまえば、それまでだが、ここで私の中のこだわりが目覚めた。

「よし、料理が良くて、家庭的で、バリアフリーの宿を探そう。」
それ以来、旅の計画の段階で、そんなペンションをさがした。だが料理に満足でき、家庭的で、気分のいい宿は時々当たるが(とまってわかる)パリアフリーが見つからない。

南会津郡の塔のへつり、大内宿、そこのねぎそば、裏磐梯、蔵王の旅に出たとき、2目目に宿に決めた那須のペンションが平屋建てでパリアフリー。おまけに天然温泉で野天風呂あり。まだまだ若いと思われる夫婦の宿で、料理もオリジナリティーがあり、おいしく、那須の名物アイスも出る。初めてのバリアブリーの宿としては大満足でうれしくなった。
那須の高原を少し外れたところにあるこの宿は、周りが田んぼや雑木林。野天風呂のすぐ前が大きな囲んぼで、その向こうが那須高原の裾野の雑木林。

訪れたときは、小雨で山は望めなかったが、雨の野天も趣があってこれもまたいい。勿論、隣に小さな室内風呈もある。ビテオテープ、本も揃っていて連泊によい。朝食が驚き。たっぷりの洋食の食材が出て、パンも食べて、それに加えて和食のメニューも出てくる。年配者にはご飯がうれしい。加えてお米がすこぶるうまい。

我々が尋ねたのは紅葉のころ。金曜泊まりの土曜立ちだったので、宿泊者が多かった。すこしすいたときに訪れたい良い宿だ。前庭の芝生もグッドだし、すぐ東側に小川が流れていて、雑木林の小道もあり、宿の周囲を散歩してみたが、なだらかな坂やカーブの道、数件の農家の庭先をめぐってきたが、静かで落ち着ける道だった。

三日目の宿は裏磐梯のペンションで大期待。事前に調べてあって、二階には座って登れる小型エスカレーターが完備しているとの情報であったので、この宿に決めたが、実際は大違い。エスカレーターはぜんぜん動かないし、部屋もユースホステルふうの狭いもので、窓も小さく、暗く、部屋数が異常に多い。学生相手のキヤンプロツジみたいでがっかり、そして驚いた。あまりの失望に、どんな風呂に入ったか記憶にない。早く忘れたいという気持ちがそうさせたのだ。早朝、日の出前に霜の下りたフロントガラスをふきふき、湖の撮影に出かけて、朝もやの中の小島と湖面の神秘的ないい写真が撮れたことが、たった一つの思い出だ。

四目日の宿は蔵王のスキー場の近くのペンション。日曜泊まりの月曜立ちだったので、ここも客は多かったが、東京の常連の学者風の方と懇意になり、話し込んで遅くなったら、夜食に手打ちそぱをご馳走になった。修行中の娘のだんなさんが打ってくれたもので、オーナー家族と楽しいひと時を持てた。睡眠時問は短くなったが、旅を濃く味わった気持ちになれた。永く忘れない。朝食は奥様の手作りパンが大皿いっぱい出てきて、おいしく、うれしかった。

五日目は仙台の東北大学医学部の北にある我が家の菩提寺を訪ね、参拝し、多賀城址にむかった。陸奥の国が大きな力を持っていたころのことを、史跡の石畳に立ち、おもいをはせた。向かいの丘に、ベガルタ仙台のドームがまぶしく輝いている。
今日の宿、秋保温泉に向かった。(つづく)

ペンション 遊・スマイル 星空独占の賃し切り露天風呂でのんびりと!!

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〒325-0302 那須郡那須町高久丙2564-3 Tel./Fax.0287-77-2731

特色:乳幼児連れの家族や高齢者も安心して利用できる平屋造りのペンションです。

食事:和洋析衷のコース料理(やさいたっぷり)!

料全:1泊2食付(税込み) 8,800~9,800円 こども料金あり(料金は確認してください。)

オーナー:宮下順夫 裕子

建物:1997年 新築 同年開業

(6)もう1つの五陵郭

ちょっと旅

函館の五陵郭は日本唯一の西洋城閣だと言われているが、私は数年前に、日本にももう1つの五陵郭があることを知った。

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龍岡城(五稜郭)跡 石碑:史跡龍岡城址

あれから何ヶ月たったのだろうか。春の雨に濡れ、長野県佐久市の南隣り臼田町の龍岡城を訪れた。ここ臼田町は岡崎市、豊田市の松平氏と深い関係のある土地です。徳川家康の先祖4代前の松平親忠の二男乗元が大給(だいきゅう)松平氏を興し、その五代目が奥殿藩主となった。その奥殿氏が、大阪の陣の戦功によって信州佐久に1万2千石の領地を与えられた。

その奥殿藩の佐久のお城が龍岡城で、その城が何と西洋式五陵郭なのです。規模は函館には及ばないものの、立派な星形五陵郭です。本丸と西北の石垣の一部が、中学校の運動場と校舎に利用され、郭をとり囲む桜の樹が五陵郭の堀の水に映えて、美しいであろうことを想像させてくれる。堀の外に新しい茶店風の建物が作られ、地元の人の親切な御接待を受け、旅の出会いの楽しさを味わった。静かな農村に囲まれ、落ち付いた味わいのこの五陵郭も興味深い名所と言えよう。

(5)道南から青森へ

ちょっと旅

数年前、苫小牧にフェリ-で上陸し道南、青森への旅に出た。北海道は光あふれる新緑の季節で、道路脇に咲く大型の黄色いタンポポがとても美しい。支笏湖への国道276号線は特にタンポポが眩しく、広くはない道だが高速で走れる快適な道路だ。

支笏湖では樽前(たるまえ)山を船上から望み、春の湖水の深い藍色(水色)を楽しんだ。次に白老を尋ねた。ここは旧仙台藩の陣屋跡が残されていて、蝦夷地(北海道)の開拓、治安を行っていた。と断言出来るのは仙台側の言い分で、蝦夷の人に言わせれば「海産物、資源その他、お金になるものなら何でも略奪同然の取り引きをする為に、駐屯しているのだ」と言うであろう。どちらの立場も理解出来るが、当時北海道には多くの勢力が、分散し、徳川幕府に対抗する力が無かった。史実として、江戸時代最大の戦が1669年(寛永9年)、日高地方の蝦夷の酋長シャクシャインとの間であった。

その時松前藩は、津軽、南部、秋田各藩に応援を求め合同で反乱をおさめたと言うことが歴史書にある。ここでは徳川側の歴史の記述は戦(たたかい)ではなくちょっとした反乱であったと記してある。蝦夷の人に言わせれば、アイヌ魂を傾注した崇高ないくさであったと言い伝えられているだろう。歴史の真実は、片方だけの歴史を紐解いても決して解明されないだろうし、世界の歴史がそれを証明している。

実は私の五代前の先祖も仕事で仙台から、白老に出張していたと聞いたので、ことのほか興味を持って見学した。

白老を発ち、羊蹄山を右手に仰ぎ、長万部から国道5号線を南下し、大沼を船でめぐった。次に函館へ車を進める予定であったが、江差町の南の上ノ国町、夷王山で旧砦の発掘を行っていると知り、変更し江差へ回った。江差では追分会館と咸臨丸を見学し、上ノ国へ向かった。ここは花沢の館(やかた)で蝦夷の有名人、コシャマインと館の城主が戦った砦の跡だと言われ、山の中腹の発掘調査を上ノ国教育委員会が行っていた。私が訪ねたのは、天気の良い昼休み時であった。丁度、炭化した木材の破片や、黒く焼けた土の調査を行っていた所で、合戦で焼かれた建物の跡だった。町の若い担当者が迎えてくれて、貴重な時間を割いて説明していただき恐縮した。彼の仕事への情熱に心暖かくなり、今後の長い発掘作業の無事を願って現場を去った。2時間程を過ごし、駐車場から車を出したら北キツネが見送りに顔を出してくれた。

函館にもどり陽の高いうちにロ-プウェイで函館山へ登ったがここは夜の方がいい。

国内唯一と言われる西洋式城閣五稜郭は、江戸時代末期、外国船の渡来に備え、北海道防衛の為に、徳川幕府が造った城で安政4年(1857年)着工、元治元年(1864年)に完成した。当時の城主は小出秀実(函館奉行)で、5つのでっぱりのある星形、フランス式の近代城だ。
五稜郭の外堀に立ち、以前の自分の旅を思い出してみた。大学生の頃の旅はすべてが楽しく、何を見ても嬉しく心豊かであったが、実際は食費を節約する貧乏旅行だった。

翌日の午前青森へ。高速フェリ-に身を委ねウトウトしながら三内丸山遺跡の事を考えていた。遺跡の周囲は白いニセアカシアの花が咲き、見学者を迎えてくれる。
展示館の栗の大木の支柱の一部を見せられた時、想像を超える大きさに驚き、この青森のいにしえの森にも立派な樹が生えていたことが証明され嬉しかった。糸魚川産のヒスイが発掘されたり、北海道の黒曜石(現在でも日高山地で取れるとのこと。)の矢じり、石ナイフの出土を見ると、船を使い海洋航行していたことが十分想像出来る。すでに言われているがここへ来て縄文文化の質の高さを多々見せられ、私の定説もくつがえされた。

三内丸山を巡って感じたことは時間と言う1本の糸だけが、今と昔を結ぶ唯一のものなのかもしれないこと。私にとって過去を見つめ、今を生ることが、たったひとつの未来に通ずることなのかもしれない。

八甲田、十和田湖を巡り、旅を終えた。

(追記) 星形の五稜郭について
陰陽道で星印☆は、晴明星(せいめいせい)と呼ばれ星印にはどこにも出口がないので魔を封じ込めると言われている。(禍福吉凶も占いに頼っていたと思われる節があり)築城、設計に当たり星印に吉祥を見出しそれにあやかった様だ。晴明とは平安時代中頃の陰陽道の大家、安部晴明のことである。京都上京区西陣織会館の南に晴明神社があり、近年大変にぎわっていると聞く。

(4)備中松山城(岡山県高梁市)から高松城跡へ

ちょっと旅

あるアメリカの女性キャスタ-が、中国の万里の長城を訪れて言ったことは、「小さな石を積み重ね、偉大なものを作ったもんだ。」と。私は万里の長城を知らない。写真でみても 綺麗に整備された長城には日干しレンガ、自然石、切り石が壁に使われている様に見える。だが通路の階段には大きな切り石が使われているのを見ると、彼女の言葉を疑ってしまう。小さな石だけで作られているとは思えない。

私も岡山県備中松山城を尋ねた時に彼女と同じ事を呟きそうになってハッとした。この城の天守閣は、昭和のある時期まで、森に帰ってしまうのではないかと思われる程、荒れていた。石垣に生えた樹の根が、石垣を壊し、城の壁板は腐り、屋根瓦は、崩れかけ冬の北風にも天守閣全部が自壊を起こしそうな、そんな状態であったと聞く。有志の 基金をもとに、木造天守閣を復現し今に今に至っているが、遠目に見たその石垣も小粒に見える。

この城は高梁(たかはし)川にすそを削られ、急峻な山に築かれた山城だ。すぐそこに見える天守閣が登れどのぼれど、又石垣が現れる。この険しい山城の石垣でも人の体に比べたら大きいし、山頂近くの石組はどこから運んで積んだのか、思いあぐねてしまう。

汗をかきかき、やっとのことで大手門にたどり着いた。この城のすばらしさは、その石組であり石垣のひとつひとつの高さにあると思う。大手門の石垣もその高さと、空を切り裂くような迫力には感動する。もう1つの大きな驚きは、大手門に至ると、城主が「登城、ご苦労であった。」と我々を迎えくれることだ。口元がゆるみ笑ってしまう自分に気づく。そして全身の力がス-ッと抜けた。

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午後、高梁川に沿って国道80号線を南下し、総社の備中国分寺を訪れ、吉備津神社に参拝し、大鳥居の高松稲荷への道途中の高松城跡を目差した。吉備津神社は「鳴釜の神事」で名高いが、他に「吉備津丸」と言われる日本一の大太刀でも有名である。作者は備州長船法光(おさふねのりみつ)で出来は大変優れていると言われている。当地、愛知県でも熱田神宮は大太刀の寄進が多く、匠達の業が見られる。

さて高松城跡は虚しく田園の中にたたずんでいて、何故ここに城を築いたか理解に苦しむ。ここより北西に鬼ヶ城があるが、今回の訪問を諦め、今日の宿 牛窓へ向かった。

明日は備前、赤穂を尋ねるつもりだ。

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