我々の時代、サッカー部では初夏(新歓)と冬(納会)2回/年、 木曽駒ゼミナーハウスを活用させていただいてました。
当時、飲み会でビールが足りず、管理人さん(塩沢さん)に木曽福島駅
近くの酒屋まで買い足しに行ってもらったり、出入り禁止と怒られつつ、 使用させていただきました。
今ではできませんが、朝方近くまで飲み、サッカー談議に花が咲いたり いろいろ語りつくしたりしてましたね。 とても楽しかった青春時代の良き思い出ですね
我々の時代、サッカー部では初夏(新歓)と冬(納会)2回/年、 木曽駒ゼミナーハウスを活用させていただいてました。
当時、飲み会でビールが足りず、管理人さん(塩沢さん)に木曽福島駅
近くの酒屋まで買い足しに行ってもらったり、出入り禁止と怒られつつ、 使用させていただきました。
今ではできませんが、朝方近くまで飲み、サッカー談議に花が咲いたり いろいろ語りつくしたりしてましたね。 とても楽しかった青春時代の良き思い出ですね
前田教授を囲む写真2枚と服部教授を囲む写真2枚かと思います。
木曽駒ゼミナーハウスのコルクボードに貼られていたお写真(2019年撮影)になります。詳細が不明なのでお心当たりの方は事務局へご連絡下さい。
先日、縁あって大学で声掛けいただいている会合においてお世話になった木曽駒ゼミナーハウスが閉鎖となることを耳にしました。
大学当時の『思ひで』を振り返ると一番思い出されるのはアルバム委員会です。
大学祭実行委員会から移籍して、仲間を募りながらそして巻き込みながら4年間を過ごしていました。
夜間主の学科の先輩に教えていただいた「お前、暴れとる?」の一言に刺激を受けて動き回った4年間でした。
教職課程もアルバイトも大学の部活には所属しませんでしたが出身高校のサッカー部でのいろいろな活動をしたりとか、今思い返せば我ながらよくあれだけのパワーで走り続けたものだなと思います。
教務室片岡さん・高橋さん、学生室(今は違うか)伊藤さん・神谷さん・石倉室長大変わがまま言いました。この場をお借りしてお詫びします。時効ってことで許してください。
『みんなでどっか行こうか?そうだ木曽駒に行こう』
在学生そして卒業OB・OGに対してありえないくらいの宿泊価格でお値段以上の楽しい時間を過ごさせていただきました。
食事もしっかりいただいたし、カラオケやって過ごしたこともあったし、大学祭・学生会の皆さんは麻雀か。
夜にハウスの庭先に出たときには街から離れて静かな事、そして、一体に広がる星空に感動したことも思い出されます。
あと、周辺の観光。馬籠宿・妻籠宿、川遊びやら、なんかいろいろ。
個人的には冬になるとスタットレスが無いとハウスに到達できないってことっで、近所の中古パーツ屋さんにチェーンを買いに行って準備だけしたのに所用でゼミナーハウスに行けないってこともあったような。
入学したての際にはAAセミナーという少人数講座も開講されていて見ず知らずの同級生たちと親睦を深める催しもあったように記憶しています。
時が経って、新しい学舎が建設されて、だんだんと在学当時に建てていただいた学び舎も年代を感じるようになったと思っていたなかで、人とのつながりを取り持っていただいたゼミナーハウスの閉鎖は少し寂しくも感じます。
ただ、だんだんと時間と共に、物の在り方や人との関わり合いが変わったということなのかもしれません。
一方で自分の生きてきた中でランドマークとなる建物であったり立ち返る地点として世間様の中に想いを馳せるような場所がある自分の人生はある意味幸せだったようにも思えます。
利用いただいた方の中からどれだけの人がどれだけの比重で木曽駒が残っているかは別として、大学時代を思い返す人生の1ページとして良い時間を過ごさせていただいてありがとうございました。
管理をなさっていたご夫婦の方に於かれましても末永くご健康にお過ごしいただければ幸いです。
木曽駒ゼミナーハウスの懐かしい思い出の写真になります。
撮影時期は1971年7月10日~14日開催されたサマーキャンプの写真です。
当時大学から大同学園のバスでゼミナーハウスまで行きました。そして当時中央線には蒸気機関車D51が走っていました。
昭和48年3月に中山研研究室の木曽駒ゼミナーハウスでの合宿の写真