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カテゴリー: 徒然なるままに(随想)

短歌で綴る入院日記

徒然なるままに(随想)

緊急入院
一.緊急の入院告げられ驚きなすすべもなく車椅子なり
一.肺炎で思いがけない緊急入院心の準備なす間もあらず
一.入院中、腕に確認のバーコード単純ミスなく患者の安全
一.外来のCT検査は日にち待ち入院患者は待たずに済むが
一.大部屋が無くて個室に先ず入り、部屋代ヒヤヒヤ病気、気につつ

病院にて
一.順天堂スタッフの方の献身素晴らしさは分け隔てなく
一.病院の献身的な見守りに入院患者も心和みぬ
一.原因が分かりし今夜胸騒ぐ心配をかけた方々に告げる
一.体調が良くなり数値改善しスタッフの皆さんに励まされたり
一.入院中一番の楽しみ食事時首長くして配膳を待つ
一.病院食、カロリー計算各々にその上、一食二百六十円也
一.不思議だね。今まで大食いの体でも少ないご飯に慣れてしまいぬ
一.初めて娘が髪にドライヤーをかけてくれたり目頭あつくす
一.病棟にワゴンサービス助かるね コンビニ商品色々用意し
一.早起きの習慣ぬけず短歌づくり夜間の看護師優しく見回り
一.五時ちょうど栞の輪読一人にて会場の雰囲気で同時に読みだす
一.個室だけ自由に出来る病室は栞をゆっくり声あげて読めり
一.カミナリが病院直撃凄い音、夜中に飛び起きイナズマを見る
一.昔から住めば都というけれど短いながら楽しい日々を
一.おあしには大中小とありますが財布の中身は我は笑なり
一.入院費、大部屋なくて仕方なく病気より恐い個室の始末

病室のテレビ
一.浅草の池波文庫輝ける下町人情、長谷川平蔵
一.時代劇、ドラマが教える人の道 池波正太郎地元の誇り
一.痛快さみんなが求める時代劇悪の中にも善の教えも

窓辺
一.病室の窓から見えるスカイツリーお茶の水から浅草見つむ
一.スカイツリーよな夜中に光るライト二ついつもは間近今は遠くに
一.好奇心スカイツリーにイナズマを見たさにしばし病室の窓から
一.病室の窓から見えるドームの屋根テレビで観戦巨人の優勝

お見舞い
一.見舞客、うれしさあまりはしゃぎすぎ帰りの見送り寂しさひとしお
一.英語塾、子供たちからメッセージ宮ちゃん先生早く良くなれと
一.泣けました子供の気持ち嬉しくて心に熱き涙流れる

退院に向け
一.入院後、初めて外へ三十六日目上野蔵前なじみの床屋
一.我家へ泊りに行ける嬉しさと結果が気になる後日の検査
一.退院が近づくにつれ淋しさが看護の人と別れがつらい
一.四十六日も退屈もせず過ごせしは笑顔がかわいい看護師のおかげ
一.今回ほど子供に感謝まこちゃんの献身看護頭が下がる
一.医師団の再発防止は引越しをせざるしかなく新居を探し
一.創業から三代にわたり蔵前に別れを告げて葛飾青戸
一.献体の決断をして医師団に子供も署名しJU二七一七

宮﨑定典(62M)

鳥居先輩と久々の会食

徒然なるままに(随想)

   先回7月の燎会に出席できなかった東京在住の鳥居先輩が来名されるというので、65E、66Eの有志6名が集まりました。金山駅2階のお店での会食後、栄の「ソフィア」へ繰り出すという決りパターンでした。遠方参加組は名古屋在住のS氏宅へ転がり込み、朝帰りとなってしまいました。まことに愉快でした。(2009/8/10 66E 名倉満雄)

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母の遺言と西郷姫

徒然なるままに(随想)

2月2日、古城の風景Ⅰを今読んでいます。この本は2004年の秋の発刊です。私は歴史自体が嫌いではないが、徳川の将軍の一人の母が豊橋市石巻町巻郷の西郷家のお姫様であったと知ったのは2005年の初秋、東愛知新聞の友の会、講演でした。この本(古城の風景)にも大変詳しくそのことが記されています。その講演は記憶に薄くなってしまったが、西郷家の話しは私の脳の一部を陣取りました。勿論演者は宮城谷氏ではなく、地元の歴史愛好家だったのでしょう。愛好家との言い方に腹立たしいと思われる方おられるかもしれませんが、それは、百年後の知者が決めることで、今研究、調査しているということは、自身も十分楽しみながらの研究でしょうから、愛好家で十分なのでしょう。

話が脇にそれてしまいましたが、西郷家の姫の話しを講演で知ったのが2005年の秋で、宮城谷氏の本が2004年の10月の出版。私は2006年の2月にやっと宮城谷さんの活字としての西郷家の姫にめぐり合えました。

わたしの脳裏の一角を占めている繋がりとしてのキーワードは石巻です。それは石巻山であり、我が家の菩提寺である石巻玉泉寺であり、2005年9月に87歳で他界した母へとつながるのです。

今月、92歳になる限りなくピュアな頑固親爺の父の食事の支度をしながら、古城の風景を読みながら、大学の同窓会支部の庶務を行いながら、寺子屋教室の閉校式の準備の段取りを考えながら、本の中の古刹や古城祉に思いを馳せながら、昨年9月交通事故に遭われた会員の白井宏幸さんへの手紙を書いています。

私が台所に立つようになり4年が過ぎ、シンク(洗い場)の低さに腰痛を悪化させた4年前が、一昨日のことに思えるほどの時が早く去り、変わったことといえば昔、母に付き添い台所で料理のコツを教わった懐かしい時間がここにあったことを思い出すことだけです。

台所と母の遺言との関わりは、病床でまいにち毎日夜、母との別れ際、私の耳元で彼女が言った「喧嘩しないで・・とうさん頼むね」の鸚鵡返しでした。「父の最期は私が看る」と気丈に言い続けた母のすこしの無念さが分かる年になり、私自身の気恥ずかしさと、母の心残りを、台所に立った私は浅漬け用の白菜を刻みながら、寒さと寂しさに少し震えております。母の遺言のひとつぐらいは実現しなくては自身の存在価値すら無くなると強く決意をさせてくれたきっかけは、一人の石巻のお姫様でした。

ゲーテにならって

徒然なるままに(随想)

“ehr Licht! “ 「もっと光を!!」

ドイツの文豪ゲ-テ(1749-1832)は文学者として天才であるばかりでなく、自然科学者として動植物、鉱物を研究し、色彩論をあらわしてニュ-トン物理学と対決した。またワイマ-ル公国の宰相を長年務め,政治家としても第一流の所謂マルチ人間であった。

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彼は、近代科学が自然を物として分析し切り刻み、そこから強引に法則なるものを引き出そうとするやり方には、我慢ならなかった。

彼にとって自然は豊かな生命体であり、そこに働く大いなる生命の力、つまり愛の力を彼は生涯にわ> たって求め続けたのである。それが彼の文学となり、幾人もの女性との愛の体験となり、70才を超えて17才の少女ウルリ-ケに対する熱烈な恋の原動力ともなった。彼はこの恋をかの「マリエンバ-トの悲歌」という頌に昇華している。

最近の科学技術の進歩はめざましい。

IT時代をむかえ、私のような文系の人間でもパソコンなしでは過ごすことが出来ない。しかし進歩の方向はゲ-テの最も反対した人間無視に進んでいるのではないだろうか。人々は一日の大半をパソコンあるいは 携帯電話といった無機物を通して他人との対話に費やしているがかえってそれらに使われているかのように見えるのだが。

さて私自身は散歩のわき道として、オ-ディオアンプ作りと音楽の趣味を持っている。それも真空管アンプである。私の真空管とのつきあいは中学一年の時に始まり、ドイツ語とのつきあいよりも古い。終戦直後の当時、部品も何もない時代、短波放送の受信が解禁になり、それを聴きたいがコイルがなく自分で巻くしかない、またスピ-カ-も壊れたものを手に入れ、ボイスコイルを巻き直し、コ-ンは襖紙のとりの子を使って張り替えるという時代であった。

本学初代学長の錦織清治先生は「実学」を教育の柱として立て、ペンチとハンダごてを使い実際に何でも出来る技術者の育成を めざされたことは、古い卒業生なら記憶にしみ込んでいることであろうが、まさにペンチとハンダごてで何もかもやってしまわねばならかった。これがさらにSPレコ-ドの皿まわしとなり、音楽への開眼となった。まだ今でも暇を見つけてはハンダごてを持ち続けている。管球アンプの歪みは多く、性能は最新のアンプの足もとにもおよばないが、それの出す音は、現実をリアルに冷酷にただ再生するのではなく、心暖まる音楽のこころを伝えてくれるように私には思える。

さらにもう一つのわき道、いやこれは私の本道であろうが、京都の浄土真宗の末寺 の住職であり、休日には經を読む生活である。これから老後に向っての私自身の課題は語学文学の世界と科学技術、これは私にはアンプ作りであるが、そして宗教をいかに総合して行くかである。

最後にゲ-テの格言詩を一つ紹介したい。

学問と芸術をもつ者は   Wer Wissenschaft und Kunst besitzt,

  宗教をもつ,            Der hat auch Religion;

前の二つを持たざる者は Wer jene beiden nicht besitzt,

  宗教をもて。            Der habe Religion.

彼の臨終での最後の言葉は “ehr Licht! “「もっと光を!」であった。

21世紀に「もっと光を!」である。

毛利衛さんからの贈りもの

徒然なるままに(随想)

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4月21日、大同工業大学創立60周年記念特別講演会が宇宙飛行士毛利衛さんを迎えて名古屋市公会堂で行われた。宇宙へ飛び立ったパイオニアからの直接の話「宇宙からの贈りものÿユニバソロジの世界観」は、期待に違わず聞く者に感動と新たな夢を与えるものであった。

「当日午前、本学を訪れる毛利さんに実験室を見せてあげてほしい。比較的小規模の大学で、予算不足と戦いながら頑張っているありのままをÿ」という澤岡学長からのメールが入ったのはその数日前でした。大同キャンパスから滝春新キャンパスへの移転の間もない頃、研究室の学生を総動員して、大慌てで実験装置の形だけを組み上げて当日を迎えた。

毛利さんは1992年の第1回目の宇宙飛行における科学実験の中で、銀の微粒子の生成実験を行っている。それは私の現在の研究とも深く関わっているので少し詳しく説明させていただく。この実験装置は直径8cmの“ガラス電球”にアルゴン、キセノンの不活性ガスを詰め、フィラメントから銀を加熱蒸発してできる煙微粒子をビデオ撮影するという仕掛けである。地上ではガスの対流によって煙が上方に立ち昇る中で結晶成長は進むが、宇宙では重量が無く対流を発生しないので、微粒子生成のメカニズムが異なることに着目し、新たな材料開発を目指して名古屋大学理学部和田伸彦先生の提案された実験である。後に、対流のない煙の拡散だけが見事に撮し出された写真を和田先生から送られた論文の中で見ることができた。

もう10年程も前になるとは言え、地上で何回も模擬実験をこなして宇宙の本番を済ませた毛利さん、自然対流を“消す”ために強制ガス流中で材料を蒸発してナノ粒子を作製するという私の実験装置を前にして、「生成のメカニズムは?」と、いきなり核心に迫る質問が出たり、また、実験結果のグラフが示す微妙な差異に率直な関心を寄せていただいた。極めて短い時間の会話を通して私に強く残った印象は、“熱意あふれる真摯な科学者”の毛利衛さんであった。

特別講演会と毛利さんの研究室訪問を通して、この7月に開館した「日本科学未来館」館長として氏の意気込みを強く感ずるとともに、それはまた私にとって、次代を担う若者が新たな夢を抱くために、親として、教師として何をなすべきかを考える好機となった。

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