母の遺言と西郷姫
2月2日、古城の風景Ⅰを今読んでいます。この本は2004年の秋の発刊です。私は歴史自体が嫌いではないが、徳川の将軍の一人の母が豊橋市石巻町巻郷の西郷家のお姫様であったと知ったのは2005年の初秋、東愛知新聞の友の会、講演でした。この本(古城の風景)にも大変詳しくそのことが記されています。その講演は記憶に薄くなってしまったが、西郷家の話しは私の脳の一部を陣取りました。勿論演者は宮城谷氏ではなく、地元の歴史愛好家だったのでしょう。愛好家との言い方に腹立たしいと思われる方おられるかもしれませんが、それは、百年後の知者が決めることで、今研究、調査しているということは、自身も十分楽しみながらの研究でしょうから、愛好家で十分なのでしょう。
話が脇にそれてしまいましたが、西郷家の姫の話しを講演で知ったのが2005年の秋で、宮城谷氏の本が2004年の10月の出版。私は2006年の2月にやっと宮城谷さんの活字としての西郷家の姫にめぐり合えました。
わたしの脳裏の一角を占めている繋がりとしてのキーワードは石巻です。それは石巻山であり、我が家の菩提寺である石巻玉泉寺であり、2005年9月に87歳で他界した母へとつながるのです。
今月、92歳になる限りなくピュアな頑固親爺の父の食事の支度をしながら、古城の風景を読みながら、大学の同窓会支部の庶務を行いながら、寺子屋教室の閉校式の準備の段取りを考えながら、本の中の古刹や古城祉に思いを馳せながら、昨年9月交通事故に遭われた会員の白井宏幸さんへの手紙を書いています。
私が台所に立つようになり4年が過ぎ、シンク(洗い場)の低さに腰痛を悪化させた4年前が、一昨日のことに思えるほどの時が早く去り、変わったことといえば昔、母に付き添い台所で料理のコツを教わった懐かしい時間がここにあったことを思い出すことだけです。
台所と母の遺言との関わりは、病床でまいにち毎日夜、母との別れ際、私の耳元で彼女が言った「喧嘩しないで・・とうさん頼むね」の鸚鵡返しでした。「父の最期は私が看る」と気丈に言い続けた母のすこしの無念さが分かる年になり、私自身の気恥ずかしさと、母の心残りを、台所に立った私は浅漬け用の白菜を刻みながら、寒さと寂しさに少し震えております。母の遺言のひとつぐらいは実現しなくては自身の存在価値すら無くなると強く決意をさせてくれたきっかけは、一人の石巻のお姫様でした。