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年: 2001年

へんな石見つけたよ!

ちょっとじまん話

<ことの始まり>
●私が高校生であった頃、かれこれ35年も昔、札幌市手稲山には金山があり、古くから金銀の採掘が行われていた。ここからはTe(テルル)という金属元素を主成分とする手稲石Cu[TeO3]・2H2Oなどが発見されて鉱物マニアの間で有名であった。子供ながら一度は言ってみたいと思っていたところです。

●私の友人で鉱物マニアのT君は、北海道を新婚旅行し札幌に立ち寄った。彼も手稲金山に行きたいとタクシーを捕まえ、運転手に尋ねたところ、熊が出るので止めたほうがよいと言われ断念した。これで手稲の熊恐怖がインプットされてしまった。20年位前のこと。

●時間は進んで6年位前のこと、仕事で札幌の豊平製鋼(株)を」訪問することとなった。(株)大同機械製作所の製品(橋梁用の門型孔明け装置)の販売支援で営業担当に同行した。札幌駅から函館本線に乗って気が付いた。手稲金山は目の当たり!、必ず受注して、製品納入時にこっそり手稲金山へ行こう!

●1998年夏、何度目かの豊平製鋼の訪問。帰途、営業担当のS氏と4駅先の星置駅で下車、徒歩で金山跡へ向かう。ちょっと金山跡を下調べ。金山XXという地名や標識が目立つ。コンクリートの選鉱所跡と見られる廃墟が見える。三菱マテリアルの事務所(小屋)を発見、古い鉱山地図をもらう。心配な熊は出ないらしい。

●1999年3月、受注成功。同7月、操業立会いに出張。

<立会い業務>
受注製品である「橋梁用の門型孔明け装置」の設置には3週間程度を要する。私の担当は客先の橋梁用CADが出力したワーク形状データをNCプログラムに変換するシステムの確認と、孔明け機側の制御システムとのドッキングテスト・操業指導です。

引渡しの1週間前からの出張で、土日を挟む(ように計画)。チャンス到来。しかし、業務の進捗によっては休日を休めないことが多い。くれぐれもミスは禁物である。なお、現地の人に聞けば熊はやはり出ないらしい。これが肝心。


<金山探索>
そもそも金山で目で見える金を発見することは極めて稀です。採算性のある金鉱石には肉眼で見えるような大粒の金を含むことが稀なためです。ゆえに金以外の希少な鉱物の採集が目的であることを知っておいてほしい。

●探索1日目。幸か不幸か納入機のスピンドルモータにトラブルが発生してしまった。北海道内のサービスセンタと連絡をとる。モータ入手に1日を要し、その間仕事ができない。

よし!金山探索開始。

ソフトエンジニアの久保田氏と金山に向かう。昨年貰った古い地図に該当する登山道を探した。星置川沿いに山道を辿るが行き止まり、行きつ戻りつ、要領を得ない。暗くなるし、雨も降り出す。帰り際、土地の人に乙女の滝への道を聞く。分かった。今日は戻るが次に期待する。

●探索2日目(日曜日)。仕事は順調に進捗、いよいよ決行。

まず札幌駅でレンタカーを借り、久保田氏に運転をお願いして出発!。途中、靴とハンマー、リュックを購入。時間は充分ある、金山の探索はたいへん困難で、疲労困憊が予想されるので後回しにして、まずフゴッペへ灰長石Ca[Al2Si2O8]の探索に向かうことにした。


▲ フゴッペへ(地図)

フゴッペは小樽市と余市郡の境辺りの海岸へ流込むフゴッペ川を4km程度遡上した所である。事前に灰長石産地の情報を仕入れてこなかったので、とりあえず道の行き止まり付近の沢で探索してみた。近くにフゴッベ川温泉という看板の宿らしきが一軒ある。客は居るのか居ないのか?

ここの灰長石は既に私のコレクションにあるので、産出状況は推測できる。火山の溶岩溜りで成長した結晶が、噴火で溶岩と共にして地表にでて来たものであろう。溶岩の中に四角いちょうどマージャンパイのような結晶が見つかる筈だ。

川幅5m位の大小の溶岩がごろごろしている川原で、30分くらい粘ってみた。小さな結晶は多いが、コレクションに値するものは少ない。やっとのことで大きな結晶が1つ含まれる手ごろな大きさの溶岩をみつけることができた。頂きまーす。

hugoppe_kawa1.jpg kaityouseki.jpg
フゴッペ川 灰長石(玄武岩中の四角の結晶)

▲手稲金山へ(地図

お昼過ぎに到着した。車を置いて、巨大な採石場の下を流れる星置川沿いの山道を遡上していく。この道は手稲山スキー場の頂上に達するらしく、また、ハイキングコースにもなっているようだ。廃業して25年は経過しているので、鉱山の面影は殆ど見られない。もう1時間歩きつづけて来たが一人のハイカーとすれ違っただけである。彼は熊避けの鈴を鳴らしていた。熊がでるのか!?。更に1時間登る。途中に2箇所だけ鉱山のズリ山(坑内から掘り出した捨石)があったが、硫化鉄鉱が見つかるだけで、面白い石はない。いよいよ道は細まり森が深く暗くなる。どこへ行きつくのか分からない。やばそー!退却開始。

広い道に戻ったところで、手稲山頂上に続くと思われる林道にスィッチ。20分くらい登った所に、山に分け入る分岐道(踏み跡)が見つかる。路面の様子で鉱山に続くような気配を感じ、この道に分け入る。沢を渡って沢沿いに登るとズリの散らばる広場にでた。おー!坑道が見える。

Koudou1.jpg

<坑道発見>
坑口は3つある。ひとつは坑内水かコンコンと湧き出している。残りのふたつは隣り合わせになっている。どれも、手堀りされたのであろうか、天井や壁の補強はなく、今にも崩れそうに荒れている。 危険極まりない。くわばらくわばら!ちょっと覗くだけにして近寄らぬことにしよう。

取りあえず、あたりの石を点検開始。

<へんな石見つけた:スカイブルーの球体>

ここは金属鉱山である筈なのに、銅、鉛、亜鉛などの金属を多く含んでいる石は殆んど見当たらない。時々、方解石Ca[CO3]、重晶石Ba[SO4]、水晶[SiO2]が見つかる。コレクションに相応しいサンプルは少ない。偶然土に埋もれた石英脈の塊がでてきた。ハンマーで一撃を与えると、真っ白い石英脈の破面に青い染みが見えた。ルーペで観察すると、石英の空隙に径0.2mm以下のすごく綺麗なスカイブルーの球体(微細結晶の集合体)となっている。この場所でこのような形態の鉱物で出そうなのは、Cuを含んだ鉱物である手稲石、孔雀石、珪孔雀石などが思い浮かぶ。が、私のつたない知識を総動員しても該当するものがない。ま、もらって帰ろう。退散退散!

BARITE1A.jpg BARITE2A.jpg saisyuu1.jpg
重晶石(透明四角) 重晶石(不透明四角)と水晶 探索風景
RICHE6.jpg riche5R.jpg riche3R.jpg riche11R.jpg
richelsdorfite。球体の最大径は0.15mm、石英の空隙に微細な水晶と供出している

<いったい何だろう?>
スカイブルーの球体が気になる。2000年1月に名古屋鉱物同好会の新年会が瑞穂区のお寺で開催された上野の国立科学博物館地学研究部の鉱物学専攻の先生の講演が恒例となっている。
機に乗じサンプルを提供して同定をお願いした。その後「該当なし」のメールを受信。

これは本当にへんな石かもしれない!(もしや新鉱物!)


<結末>
てな事を書いていたら、国立科学博物館の松原博士からE-Mailが届いた。 同定をお願いして既に1年8ヶ月、採集してから2年2ヶ月もたっている。調べてくれているか心配だったが、待ちに待った結論でした。鉱物の英名はrichelsdorfiteとのこと。まだ、和名はないのか、すこし古い本だが日本産鉱物種 (THE MINERAL SPECIES OF JAPAN 1992 松原 聡著 )を調べてみたが記載がない。ひょっとすると日本での新発見なのかと期待が高まる。

<E-Mail>

To: m-nagura@xxxxxx.ne.jp (nagura)
From: Satoshi Matsubara <matubara@xxxxx.go.jp>
Subject: 手稲産鉱物のこと
Date: Tue, 25 Sep 2001 16:52:01 +0900
Cc:

名倉 様

手稲鉱山の青色玉状鉱物の正体がわかりました。かなり珍しい鉱物でした。最初、テルル酸塩ではないかと、X線粉末回折値を検討していたので,該当する鉱物がなかったのです。化学分析をしたところ、 richelsdorfite, Ca2Cu5SbCl(OH)6(AsO4)4・6H2O, であることがわかり、 X線粉末回折値を見直したところ、ほぼこの鉱物に該当しました。長い間おまたせしてすみませんでした。なお、この鉱物についてはいずれどこかで発表させてもらいます。

松原 聰

<むすび>
子供のころから行ってみたいと思いつづけて35年。偶然にも会社の出張で、したがって交通費は只同然で、行くことができました。しかも、考えても見ない新発見(結論は尚早だが)という収穫を得ることができた。また、学術研究のささやかなお手伝いができたことは、とてもラッキーで生涯の1ページとして記憶に残ることでしょう。

思いつづけることが大切ですよ!。ご同輩。


<謝辞>
次の方々には大変お世話になりましたので、記載して謝意を表します。

○国立科学博物館地学第二研究室 松原 聰博士: 鉱物の同定に対して。
○(株)海津電研工業社 久保田 賢一氏: 現地同行に対して(熊が怖くて一人では行けない)。
○大同工業大学 愛知 久助教授:写真撮影に対して

毛利衛さんからの贈りもの

徒然なるままに(随想)

IWAMA.jpg

4月21日、大同工業大学創立60周年記念特別講演会が宇宙飛行士毛利衛さんを迎えて名古屋市公会堂で行われた。宇宙へ飛び立ったパイオニアからの直接の話「宇宙からの贈りものÿユニバソロジの世界観」は、期待に違わず聞く者に感動と新たな夢を与えるものであった。

「当日午前、本学を訪れる毛利さんに実験室を見せてあげてほしい。比較的小規模の大学で、予算不足と戦いながら頑張っているありのままをÿ」という澤岡学長からのメールが入ったのはその数日前でした。大同キャンパスから滝春新キャンパスへの移転の間もない頃、研究室の学生を総動員して、大慌てで実験装置の形だけを組み上げて当日を迎えた。

毛利さんは1992年の第1回目の宇宙飛行における科学実験の中で、銀の微粒子の生成実験を行っている。それは私の現在の研究とも深く関わっているので少し詳しく説明させていただく。この実験装置は直径8cmの“ガラス電球”にアルゴン、キセノンの不活性ガスを詰め、フィラメントから銀を加熱蒸発してできる煙微粒子をビデオ撮影するという仕掛けである。地上ではガスの対流によって煙が上方に立ち昇る中で結晶成長は進むが、宇宙では重量が無く対流を発生しないので、微粒子生成のメカニズムが異なることに着目し、新たな材料開発を目指して名古屋大学理学部和田伸彦先生の提案された実験である。後に、対流のない煙の拡散だけが見事に撮し出された写真を和田先生から送られた論文の中で見ることができた。

もう10年程も前になるとは言え、地上で何回も模擬実験をこなして宇宙の本番を済ませた毛利さん、自然対流を“消す”ために強制ガス流中で材料を蒸発してナノ粒子を作製するという私の実験装置を前にして、「生成のメカニズムは?」と、いきなり核心に迫る質問が出たり、また、実験結果のグラフが示す微妙な差異に率直な関心を寄せていただいた。極めて短い時間の会話を通して私に強く残った印象は、“熱意あふれる真摯な科学者”の毛利衛さんであった。

特別講演会と毛利さんの研究室訪問を通して、この7月に開館した「日本科学未来館」館長として氏の意気込みを強く感ずるとともに、それはまた私にとって、次代を担う若者が新たな夢を抱くために、親として、教師として何をなすべきかを考える好機となった。

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